検証「嵐は本当に可愛いか」
朝、母にホメ言葉を強要されました。
「CDTV録画したよ!嵐がいっぱい写ってたーナイスでしょ。ほめて」
こんな母に、「『We can make it! 』のサビは『うぃ~きゃんどぅ~いっとフンフフ』じゃない」って誰か教えてあげてください。「We can make it true~♪」の「 true 」のところが、歌詞間違えてるから余っちゃってて、続き歌えてないんです。「バンビ~ノ!」毎週見てて、「今日は松潤がお皿を割った」「今日の松潤はフロアに出た」と毎回教えてくれてたのにそうなんです。
新しく買ったハンドクリームで手が臭くて、昨日からご飯がおいしく食べられません。やだ~痩せちゃう、プラズマテレビになっちゃう。望むところだぁ~
今日自分のブログを読み返していて、「何回私は嵐くんたちを『可愛い』って言ってるんだ」と思いました。冷静に考えて、嵐くんはAround25の成人男子、相葉くん言うところの平均青年なんです。普通、「可愛い」って形容詞は当てはまらないように思うんです。
四方田犬彦さんが、「かわいい論」(ちくま新書)という本で、「可愛いとは何か」という分析をしています。それを基にして、「嵐は本当に可愛いか」という検証をしてみたいと思います。
「可愛いとは、
・ミニュアチュール
・スーヴニール
の三要素を満たす存在」
というのが、四方田さんの結論です。
まずミニュアチュール。清少納言は「枕草子」ですでに、「小さいものはすべてかわいい」と述べています。日経エンタで二宮くんも語っている「ちっちゃくまとまろうとするのが嵐」というところ。5人が固まってきゃいきゃいしてるところ。Yes, ミニュアチュール。
次にスーヴニール。これは物質化、ということです。
人はひとたび過ぎ去ってしまって、もう二度と戻ることのない時間を、けっしてそれ自体として対象化することができない。そこにはかならず物質性が介在する。具体的にいうならば、記念品、遺品(中略)といったスーヴニールの類である」(本文)
ということだそうですが、要は「はっきりと後に残る形で示されている」ということでいいのかな、と思います。雑誌のインタビューなどで見られる「嵐大好き」「ケンカしたことない」などの発言、またそれを載せた雑誌や映像をスーヴニールと捉えていいのではないでしょうか。
ノスタルジイは懐かしさ、「ALWAYS三丁目の夕日」の大ヒットなどに見られる、過去的なものに対する憧れ。先日も書きましたが、帰ってこない学生時代を思い出させるところ。嵐くん達の学生っぽさ。
完璧ですね。
嵐、完璧に可愛い。これでみなさんも、はばかることなく「嵐は可愛い」って主張できることと思います。「嵐可愛いー!せーのっ、(あらかわー!!)」←相葉ランド略してアイランド、のノリで
あー。
私って、暇なんだなぁ…