飛魚

中島裕翔くんのファンです

裕翔くんを担当に決めたときのこと

一つ前のエントリが、はてなブログで書いた初めての記事でした。
はてダから引っ越そうかな、でも愛着あるから離れがたいな、でもはてブロは機能がたくさんあって便利そうだからな〜とウダウダ迷っているうちとりあえずいっとこ!しばらくは並行稼働!とインポートを済ませたのでした。どうしようかな、まだ迷っています。はてダ好きなんですよ。

はてダからはてブロに移動してきたら、サイドバーに今まで書いてきたエントリ数が年月ごとに表示されて驚きました。これ2009年からやってるのか!?と。あと裕翔くんが茶髪・金髪だった2014年のエントリ数の少なさよ…

グループ機能面白いですね。はてなアンテナにいれていたはてなダイアリーも大多数が更新されなくなっているし、たくさんの人をフォローしていたTwitterもだいぶ前から見なくなっていたから、ジャニオタがたくさんいるっていうのが新鮮で面白いです。色々なブログ読ませてもらって、大変楽しい時間を過ごしました。

みなさんの担当論を聞かせてください。 - pompom
それでだいぶ時間が経っているんですが、上のエントリを読んで自分はどうだったかなーと思ったので、それについてを書きますね。こういうのなんかコミュニティーに属してる感じで楽しいな。

わたしが裕翔くん担当になったのは2012年11月10日、JOHNNYS’ WORLDの初日のことです。
それまでわたしは、伊野尾くん担になるか裕翔くん担になるか決められずにいました。担当にするなら2人のどちらかだけど、担当なんて別にいらないと思っていたし、不便を感じたことも特にありませんでした。
櫻井翔くんの写真を買いに行ったジャニショで伊野尾くんにひとめぼれして、JUMPのコンサートに行くようになって、裕翔くんを好きになって。
伊野尾くんもいいね裕翔くんもいいね、戸塚くんもいいねヒガシもいいね、みんな好きだ〜、そういうジャニオタがいたっていいじゃない〜というスタンスで漂っていました。

それがなぜ、裕翔くんを担当するに至ったのか?

JOHNNYS' WORLDが始まる前に、裕翔くんのじゃんぺが更新されました。忘れられない、いまでも覚えている一文があります。「もっと色々準備できたのかなって思いました」。
全体のトーンも暗く、もしかしてこれはだいぶジャニワでの出番が少ないな??と勘ぐれる内容で、不安を抱えながらジャニワ初日、帝国劇場へ向かいました。観終わって帝国劇場を出た時にはもう、裕翔くん担当になろうと決めていました。それは、やっぱり裕翔くんの出番が少なかったから。

もう憤っていましたね。裕翔くんの出番が少ないことにじゃない、出番が少ないことについてまず自分の振る舞いを反省する裕翔くんに憤りを感じました。ジャニワの出番が少なかったからなんだっていうのよ、あなたの準備不足が理由で出番が少ないんじゃないでしょ?裕翔くんは美しく素晴らしく、お金を払う価値があるのに、どうしてそこで自信を失っちゃうの?わたしがお金を払いたいのはあなたよ、応援したいのはあなただよ、と強く思ったので、裕翔くん担になることにしました。

Twitterで散々、裕翔くんも伊野尾くんも好き〜担当にするならどっちかにする〜と言っていたので、ふたつのうち一つを選んだことについて、別に「裕翔くんに比べて伊野尾くんが劣っているわけじゃない」ことを上手に説明できなかったためはてダでもTwitterでも担決め宣言はしないで、ぬるっと裕翔くん担におさまりました。
ジャニワ初日までは「担当とは、一番好きな人のこと」だと思っていたから決められなかったけど、ジャニワを見て「担当とは、一番応援したい人のこと」だと定義づけられたので、それからはぶれることなく裕翔くん担としてジャニオタやってます。